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読書修慣

 ようやく暖かくなったな、とか思ったら、また突然冷え込んだりする今日この頃です。

 季節の変わり目には、必ずと言っていいほど一度は体調を崩す現代っ子な僕なので、
 こういう温度変化で風邪などひいてしまうと、丁度今のような忙しい時期には命取りです。



 さて、話は変わって、
 日々時間さえあれば読書を怠らぬようにと心掛けている僕ですが、

 折角ブログ書いていることだし、ということで最近読んだ本の紹介なんかを書かせて頂こうかな、などと考えております。

 決して記事を書くにもネタがないとかそんな理由ではないよ、というか、
 自分のブログなり何なり作ってそっちでやれよ、とか、そういうことは取り合えず隅に置いといて云々。

 というわけで、今日は、



 ハヤカワSFの「人間以上(著:シオドア・スタージョン 訳:矢野 徹)」です。
 割と有名な作品らしいのですが、僕が読んだのはごく最近。

 まず読み終わって思ったのは、人間以上というタイトルは実にこの小説を的確に表しているなあ、ということ。

 例えどんなマルチかつ優れた才能を持っていて、常人には成し得ないことをやり遂げたとしても、「人間」である、という頚木からは抜け出せない──それに対し、この小説の中で書かれる「人間以上」の人々は、実にユニークな発想で「人間でない」わけでもなく、「人間である」わけでもなく、「人間以上」なのです。

 個体であり、一部である、というのは我々自身とも、人間に限らずありとあらゆるものの構成とも似た「組織」を構成しているにも関わらず、この物語に書かれる白痴(※この表現については文末の注意をご覧下さい)の青年は「頭」、陰気な少女は「体」、病気の赤子は「脳」、双子は「手足」……彼らはそれぞれが一部であり、そして、それ全体が個体である、という不思議で孤独な人々。滅びゆく現代人に代わる「形態」、「集団人」。

 非常に独特かつ複雑であり、現に人間である僕からすれば、理解は出来るが納得は出来ない、という、まさにサイエンス・フィクションなのだと感じました。

 文章は非常にわかりやすく、説明的になりがちな翻訳SF小説の中では読みやすい印象を受けました。やはり少し説明的ですが。
 同じ矢野徹さんの翻訳でもフレデリック・ポールの「ゲイトウェイ」などとは大分違った印象を受けました(どちらが良いか、というのは明確な判断に困りますが)。

 スペースオペラなどの分厚い設定が苦手だという方にもお薦めなので、機会があったら是非ともどうぞ。


※「白痴」という表現は現代において一部の障害者の方々に対する差別的意味合いを持った言葉とされますが、この小説の中では同様の表現を使用しているため、それを踏まえた上で使用させて頂きました。
 この場において使うべきか使わざるべきかは、僕も重々考慮した上での使用であり、決して障害者の方に対する悪意あってのものではありませんが、この文章によって気分を害された方がおりましたら、この場を以ってお詫びさせて頂きたいと思います。
  1. 2008/01/16(水) 22:26:33|
  2. 生田 六之助
  3. | コメント:1
  4. | トラックバック:0
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コメント

(`・ω・´)

なんという紹介文。
っていうかこんな機能あったなんで露知らず(ry

そのうち私も使おうっと。紹介するものありませんg(ry
  1. 2008/01/17(木) 00:47:40 |
  2. URL |
  3. 藍川サイ #3n2kClQ.
  4. [ 編集]

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